もう1つの可能性

人生のおもしろみを提案するブログ。

Facebookを見られる恐怖について。

Facebookとは離れたところで知り合った人だと

Facebookを見られるのがちょっと怖いというのがホンネです。

 

例えば旅先やBBQやフランクな交流の場、飲み会、など。

下の名前で呼び合うようなことも多い。

 

平日5日間、何をしている人なのか

具体的に知らないまま仲良くなることもある。

お互いフルネームが分からない安心感と物足りなさと…

 

もちろん、

Facebookを一生見られないというのは難しいと思うのだけど

できれば遅らせたい、食い止めたい…

無駄なあがきだと分かっているんだけど(笑)。

 

なぜかというと、Facebookには私の全部が詰まってるから。

 

肉やルイージや水着や(笑)、「私はこう思う!」という、いろいろな考えの吐露。

そもそもそんなことFacebookに載せるほうが変なんですが

いつからかそうなってしまった。

Facebookには私の変遷が詰まってる。

 

だから、Facebookを見られるのは

自分の本棚を見られるぐらいすごく恥ずかしい。

水着見られるより恥ずかしい(笑)。

 

もうちょっと猫かぶっていたかったなぁという虚しい願い…(笑)

最終的にはそこも含めて私なんだけどね。