もう1つの可能性

人生のおもしろみを提案するブログ。

それでも私は、逃げも隠れもせずに物を言いたい。

顔を隠して、名前を隠して発言すれば
どんなに楽だろうと思う。

 

同じことを書いて発信するのでも
素性を隠して発信するのと
ごまかせない状態で発信するのとでは
天と地ほどの差がある。

 

どんなにたくさんの人から
どんなに心ない批判を受けたとしても

それは私であって私でない人に向けられたものだから
傷付かない。

 

闘牛士のように身軽に
ひらり、ひらりと嘲笑をかわし
スマートに生きていけるかもしれない。

 

自分の知人にも友人にも知られることなく
他人のフリして
その標的を一緒に笑えるかもしれない。


でも、私にはそれがどうしても無理だ。

 

どう考えたってその方が楽だって分かってるんだけど
自分であることを隠して発信することに
どうしても意味を感じない。

 

コンテンツだけ見れば、同じような内容かもしれない。

 

でも、顔も名前も晒して発信するということは
書く側の覚悟がやっぱり全然違うと思う。
何もかもを受け止めざるをえない、その覚悟が。

 

アイコンとしてではなく
人として認識されて
意見が飛び交う。

 

誰が書いたんだか分からないコンテンツを否定されるのと
人として否定されるのでは
ダメージが比べものにならない。

 

それでも私は、逃げも隠れもせずに物を言いたい。

 

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最近、少しばかり物を書くようになって

イケダハヤトさんのことも
はあちゅうさんのことも
下田美咲さんのことも

尊敬の念は高まるばかりだ。

 

あの人たちは、本当にすごい。
何がすごいって、勇気がすごい。

 

エッジの効いた主張だったり
一部の人を確実にイラっとさせる内容だったりするので
好き嫌いが分かれるのは当たり前だろうけど

 

私も、「それはさすがに…」と言いたくなるような記事たくさんあるけど(笑)
3人全員をマネしたいかというと違うけど(笑)


あの人たちの物を言う勇気には、尊敬しかない。

ひたすら頭が下がる。

 

どんなに真っ当そうな言葉で批判していても
顔や名前を隠して大口を叩くコメント主より
自分の言葉として世の中に発言する人が尊いと思う。

人としてカッコいいと思う。


今後、私の書いた記事に対して否定的なコメントがあったとしても
それが顔と名前をオープンにした人のものだとしたら
真摯に受け止めようと思っている。

そうじゃないなら、申し訳ないけど、ただのノイズだ。


私は逃げも隠れもしない。
怖くても、自分で受け止めるしかない。


私は逃げも隠れもせずに物を言いたい。