栄養成分表示をくまなくチェックし続ける人間には、なりたくない。
とあるバラエティで、ベテラン大女優という人が出ていた。
その人が習慣を発表するコーナーで
「毎日、氷水を飲む!」と。
「氷がないと水を飲めない。」
「冷やし中華はお皿を冷凍庫で冷やして盛り付けて、 その後さらに冷凍室に入れる」
という冷たさラブアピールをしており、
飲み物も食べ物もとにかく冷やして食すということを徹底している ようだった。
そこで司会が
「でも一説によれば水は生ぬるいほうが体に良いみたいですけど… 」
「冷たい飲み物・食べ物は免疫力を下げるらしいですけど…」
と言ったら
そのベテラン大女優は一蹴して
「私はこの10年風邪さえ引いてないよ!!!」と。
彼女の「圧」は確かに、ウイルスも逃げていきそうな力強さだった。
実際、これはすごくあると思う。
何があるかというと
体に良いものというのは、ある。
体に悪いものというのも、ある。
ただ、厳密に言えばその区切りは難しくて
最後は意志の問題だということ。
肉が体に悪いと言う人がいる。
肉が体に良いと言う人がいる。
コーヒーが体に悪いと言う人がいる。
コーヒーが体に良いと言う人がいる。
野菜ならいいかというと、
栄養値が低いだとか農薬だとか、ハッキリ言ってキリがない。
ぬるい水が良くて氷水が悪いという説も
結局は本当のところなんて分からない。
真実なんて分からないし、
「真実」と呼ばれるものは時代や技術革新で簡単に変わる。
大事なのは、強くたくましく健康に長生きすることだとすると
体への微細な影響に怯えて
栄養成分表示をくまなくチェックし続ける毎日が
果たして強くたくましく健康な人だろうか?私は疑問だ。
危険を回避しようと思うがあまり
世論や「専門家」や栄養成分表示に踊らされている。
それよりも
「多少の食品添加物なんて、私の免疫力で吹き飛ばしてやるわよ! 」
みたいな人の方が、強くたくましく感じるし、私は好きだ。
「正しい情報」なんて、ないに等しい世の中で
何を「正しい」とするかは自分の意志の問題だ。
何を「信じる」のか、それだけだ。
健康や栄養や安全な食について勉強していくと
必ず出てくる言葉が
「もう何を食べていいか分からない」ということ。
それぐらい混沌としている。
ただ私は
「何を食べていいか分からない」と言ってオロオロするより
「美味しそうー!」と言ってモグモグしていたい。
肉が悪いと言われても私は食べ続けるし
砂糖が悪いと言われても私はデザートが人を幸せにするパワーは絶 大だと思うし
牛乳が悪いと言われても私は「レモンorミルク」 の場面で毎回ミルクを選択する。( ただしコーヒーフレッシュは使わない)
私はタバコは吸わないけれど
「タバコ辞めて長生きするぐらいなら、 俺はタバコ吸って早死にする」と言って
その人がそれだけの意志を持ってタバコ吸ってるなら、 良いんじゃないかなと思う。
私はタバコ吸う男性とは付き合わないけれど
もしその人の肺が真っ黒だとしても
少なくとも彼は彼自身の人生を生きていると感じる。
曖昧と混沌の「健康論」の中で
私は今日もお肉を食べる。(←結局それ)